「タイムトラベルはつまらない。」のは何故か? | |||||||||||||||||||||||||||||
水田徹
1.序
という特質を持っていることになる。ちなみに空間をマクロスケールでとらえ、先述のように空間が擬2次元であるとした場合は以下のようになる。
我々が空間と時間を別物と感じるのは、このように関与でき得るレベルが異なることによっている。我々は1次元の時間の広がりについては、その概念、つまり過去や未来があることを理解しているだけであり、空間と同じように知覚・制御が可能なのは0次元(=点)の時間すなわち現在のみなのである。空間と同じ意味では時間は、現在の、この今という瞬間しか存在していないのだ。かつて時間が空間と対等の次元であると考えられなかったのも無理はない。 把握というのは本来知覚を伴うものであるから、軸方向に対する把握と知覚を一つにまとめてしまい、軸方向に対する関与のレベルを、可観測と可制御の2つのレベルに分けるほうが自然である。つまり
ということなのだが、それをわざわざ把握と知覚の2つのレベルに分けてみたのは、我々が、知覚できない1次元の時間を把握しているという事実のためである。 1次元時間を我々が把握できるのは、本来1次元時間を知覚できているためでないことは言うまでもない。それは時間が1次元の軸方向に流れているからである。川を流れていく筏のように、我々の知覚できる現在という0次元時間が、時間軸に沿ってある「速度」で受動的に移動しているのである。この場合距離に当たるものが時間なのだから、時間軸に対して「速度」という用語を用いるのは少し変だが、とにかく我々にとっての現在が時間軸上を移動するのである。我々は1次元時間軸に対して何ら制御を行うことなく、0次元時間=現在にとどまったまま、1次元時間軸上を移動しているのである。移り変わっていく現在を知覚することにより、間接的に時間の流れ、ひいては時間の1次元の広がりを理解しているのである。 5.模範的タイムトラベルの条件 時間軸上を動いているのだから、我々は既にタイムトラベルをしていると言えないこともない。確かにその通りではあるが、そんなことを言っても誰も納得はしまい。我々は、能動的に、自らの意志で時間軸上を進んでいる訳ではないのだから。 我々の望んでいるタイムトラベルというのは、単に時間軸上を移動するだけでなく、我々が受動的に流されている「速度」とは異なる「速度」で時間軸上を移動するそれのはずである。(そしてそれを成し遂げることによって我々は時間というものを空間と対等に感じることが可能になる。我々が4次元の時空間に存在している、ということを実感するために必要なのは相対性理論のような「理論」ではなく、空間に対してそれが可能なように、時間を知覚・制御することなのである。) コールドスリープによるタイムトラベルを私が認められない理由は、この方法では時間軸上を流れる「速度」を変えることにはならないという点にある。コールドスリープにより主観的に時間の流れを変えてみても結局は同じ時間の流れの中にいるのである。 更に重要なことは、コールドスリープでもウラシマ効果によるタイムトラベルでもそうなのだが、行けるのは未来のみで元の時代には戻れないのだ。つまり、これらは時間軸上を自由に移動するのではなく、時間軸上を流れる「速度」を加速しているだけなのである。冷静に考えれば分かることだが、そんなものは大して有り難いものではない。 過去または未来に対して知覚・制御すること、すなわちタイムトラベルを含めた時間超越に対する最低限のニーズというものは、過去に対しては制御であり、未来に対しては知覚であると言われている。つまり過去へは行けなくては意味がないが、未来は見るだけでもいいのである。これらは過去が現在の積み重なったものであり、その現在は知覚できるものであること、時間軸上を流れていけばいずれ目的とする未来にたどり着けることからも明らかである。コールドスリープ等による方法はこれらの最低限のニーズからは外れており、タイムトラベルの主流とはなり得ないと言えよう。 6.何故タイムトラベルはつまらないか 現在のところ、未来を観測することはとりあえず出来ないようであり、また時間軸上を制限なしに自由に移動できるようなタイムトラベルの理論も出てきていない。1次元時間軸上に対する知覚・制御のニーズが満たされる見通しは暗いようである。しかしそのような現実は無視して、タイムトラベルが出来ると仮定しよう。つまり、何らかの超能力のようなものでも良い、何らかの装置を用いても良い、とにかく時間の1次元軸上を自由に移動できると仮定するのだ。 まず未来へ行くことを考えよう。時間軸上を進んでいく姿は時間軸上に投影される。そして時間の流れる「速度」よりも速く時間軸上を進む自分は、普通の「速度」で時間軸上を流れる外界の者から見れば時間の進みが遅くなっている。例えばタイムトラベルしている間に一歩足を踏み出すという動作をしたと想定しよう。外から見ればその動作を完了するのには、踏み出すのにかかる時間とその間にタイムトラベルによって進んだ時間の和が必要となる。つまり、100年未来へ行ったとすれば、外界からは100年かけて一歩足を踏み出す動作をしているように見えるのである。これは結局現象的には、外界に対して相対的に時間の流れを遅くするコールドスリープと変わらない。 逆に過去へ行く場合を考えよう。今度は100年戻る間に一歩足を踏み出すのだ。これはタイムトラベルする者にとっては一歩足を踏み出す動作だが、外界にとっては開始時点はタイムトラベルする者にとっての目的時刻である100年前であるから、外界から見た場合100年かけて一歩足を戻す動作をしていることになる。 いずれにしても、タイムトラベルをしている者は外界から見ればほとんど止まっているに等しい。その姿は間抜けだし外界に対して無防備である。とてもじゃないが快適な時間旅行という訳にはいかないし、通過できない時代も出てきてしまうであろう。 これらを解決するために別のタイムトラベルの手法を考えよう。それはワープである。普通ワープは空間を飛び越える(例えばもっとも速い光ですら片道14万8千年かかってしまうような遠い目的地までの往復をわずか1年でしなくてはならない時など、ワープという技術は不可欠である)ために用いる。ワープはその空間の一つ上の空間次元(我々は3次元空間にいるから、この場合は4次元空間)を進んで通常の空間の2点間をショートカットするのである。 このワープが時間に対しても出来るとするのだ。2つの異なる時刻の間を跳躍するために1つ上の時間次元、つまり2次元時間を進んでショートカットすれば1次元時間をワープ出来ることになる。これならば1次元時間軸上を移動しないから、先のような問題もなくタイムトラベルが可能だ。ここで2次元目の時間軸は1次元目の(我々が把握している)時間軸に対して直角に交わる軸である。1本の線であった時間に平面的広がりが与えられることになり、1次元の時間が無限に存在することになる。これが何を意味するかといえば、その無限にある1次元時間の1本1本がそれぞれ我々の世界のパラレルワールドであるということである。 つまり時間をワープするということは、パラレルワールドを通って我々の存在する世界の1次元時間軸をショートカットするということになる。となると、いかに自分の住む世界では時間軸を跳躍しようとも、必ずいずれかのパラレルワールドをその軌跡に用いなければならない。そのパラレルワールドにおけるその者の姿は、先程仮定した1次元時間軸上を自由に移動する場合と同様に、止まっているように見える。結局どのような方法を仮定してもコールドスリープ的なタイムトラベルの呪縛からは逃れられないのである。それゆえ、タイムトラベルはつまらないと言わねばならないのである。 |