渡辺ヤスヒロ
1995年秋、世界中の抗議の声を押し切ってフランスはタヒチで核実験を行なった。ヒロシマ、ナガサキに落とされた原爆の何倍、何十倍もの威力を持つ水爆が環礁の海中で何度も炸裂したわけである。植民地とは言えタヒチにとって大きな迷惑であることは間違いない。ひょっとしたら鼻行類の様な珍しい生物が生態系ごと失われたのかも知れない。この実験によって得られる結果が失われたものと釣り合うのかどうかは別にして、実験は実施され、あの美しいムルロア環礁は二度と帰って来なくなってしまったわけである。
一度核に汚染された地域(海域)では人や普通の生物が住むことは出来ない。そして核実験は如何に反対されようとも実施されてゆく。この2点から結論が出せるとすれば、地域(海域)を限定して核実験を行い続ければ良いということではないだろうか。
従来、兵器という機密性もあって核実験は自国内で行なわれてきた。しかしそれでは国土の狭い国や適した場所の無い国にとって不公平であることは言うまでもない。どの国にも属さない土地は無く(南極大陸は保護されているために核実験等は行なえない。)公海等でやろうものならそれこそあらゆる国(や漁船やグリーンピース)から猛反対を食らうこと必死である。
核の保有による武力の均等化を図るためにもどの国家でも自由に使える核実験場が必要なのではないだろうか。
タヒチはその国力の弱さゆえにフランスから独立することは出来ない。国レベルでの安定した収入のある産業があれば即座に独立でき、フランスの強行した核実験等を拒絶することができるのではないかと考えられる。
さて、ここまで言えばもうお分かりと思うが、タヒチには核実験場国家として独立するべきであると主張したいのである。もちろん核実験を行なう国家はタヒチに対して莫大な使用料や補償費を支払うことになるだろう。もちろん核実験産業は独占状態だから実験場の使用料は上げ放題だし、それだけの価値が核実験にはあると考えられるからである。核実験のための施設程度はあらかじめ用意しても良いかも知れないが、軍事機密を扱う実験国の事だから自分で建設することが多くなるだろう。
では、タヒチの国民はどうするのか。当然それだけ国が潤うのだから税金どころか国から結構な支給金が出されるのだろう。そしてその補償費で海外のリゾート地に住むのである。いつの間にかマイアミに建つ豪邸の半分はタヒチ国民の物だった、などということも夢ではなくなるだろう。
しかし国民主権国家であるならば全ての国民が国を出るわけにはいかない。誰かは国に残らねばならないのである。当然その人は選挙によって選ばれる国の首長であるべきだろう。健康上の理由も考えて任期は短く5年程度で無事終えた後には普通の国民よりも更に裕福な暮らしが待っているというわけだ。ひょっとして酔狂な人が大統領職を何度も立候補するかも知れないが、そんな多選の弊害も放射能障害によって自然に解決されてしまうのである。
大統領一人だけでは国を運営しきれないならば議会全体は地下シェルターにでも作れば良いだろう。それだけの予算が取れる国になるとは間違いないのだから。
当然各国大使館も出来ると考えられる。近代的な国際社会として考えれば当然のことであり世界中の国の大使館が用意されるだろう。
もし国交を行なうとしてもそんな国への大使を希望するものも少ないだろうし外務省人気が落ちてしまうことになるのではないだろうか。
ひょっとしたら国交を結ぶ国は極少数の実験国に限られることになるのとも考えられる。フランスや中国と言った従来の実験国に合わせて、ロシアやアメリカ等の核保有国の他に何故かイスラエルやインドも何故か国交を結んでいるかも知れない。中東や南アフリカ、北朝鮮辺りもブラフを交えて実験条約を交わしてくるかも知れない。実際に実験を行なうかどうかは別にしても一発ネタとして世界中がびびることは間違いないだろう。
こうなると核実験だけを売り物にするだけでは国土、領海がもったいないだろうし実験国も国際的批難を浴びて手を出して来なくなるかも知れない。そういった時には平和利用を目的とした核実験場とすれば良いのである。つまり地域住民に反対されるような新型原発(もんじゅとか)の実験とか巨大な加速器の実験とか、そういった物である。
いかなる核実験も拒まず。それこそが核の楽園たるタヒチの将来像ではないだろうか。昔ゴーギャンという画家はタヒチを楽園と感じてその絵を描き続けたという。今、タヒチは新たなる次世代の楽園国家、『ニュークリアヘヴンカントリー』として厳しい国際社会を生き抜いていくべきなのである。早くしないと世界中の無駄な国土(砂漠とか)を保有する国に先を越されてしまうかも知れないのだから。
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