加藤邦道
はじめに
今日ではちょっとした計算は全て電卓(電子式卓上計算機)で行われるようになり、古来から使われてきた東洋の計算機・ソロバンはすっかり影を潜めてしまったようである。その証拠に、未だにソロバンを使用しているのは、年寄りやソロバン塾に通う小学生などほんの一部の人間に限られている。このようにソロバンが衰退した主な理由として「ソロバンは使いこなせるようになるまでに時間がかかる」と「電卓の方が演算速度が速い」の2つが挙げられるだろう。また、器具の大きさや重量、価格の面では両者の間に殆ど差はなく、従って電卓がソロバンにとって代わっても何の不思議もないように見える。しかし、果たして本当に電卓はソロバンよりも優れているのだろうか?電卓は完全にソロバンの代わりとなりうるのか?ではこれから、この問題に関していくつかの具体例を挙げながら見ていこうと思う。
1.暗算可能性
ソロバンを覚えることの効用として、よく「暗算が得意になる」といったことが言われる。ソロバンユーザーたちは頭の中にソロバンの形を思い浮かべ、それをはじくことによって暗算が速く正確にできるとされる。実際、ソロバンを習っていた人は暗算が得意であるし、計算する時に架空のソロバンをはじくことも事実のようである。
それでは電卓ユーザーたちにはこの芸当はできないのであろうか?結論を先に言ってしまうと、残念ながらまず無理である。ソロバンというものはただの道具であり、人間が動かさなければならないものなので、実際の計算は人間が一つずつ手順を踏んでソロバンの玉をはじいていく必要がある。つまり、もともと計算はソロバンのユーザー自信が行なっているのである。この点においては、ソロバンと筆記用具とは本質的に同じ物であると言える。これに対して電卓は、それ自身が勝手に計算してくれるので非常に楽だが、その代わり、それがなくなった途端に電卓ユーザーは無力となってしまう。ここのところが、便利さとスピードの代償と言えるのかも知れない。
2.演奏可能性
ソロバンの玉を指先ではじくとパチパチと音がする。ソロバン全体を上下に振ればカシャカシャという音がでる。更に、玉を回転させたり、部分的に指で押さえて振ったり、叩いたりすればまた違った音が出る。そしてこれらの音をうまく組み合わせて利用すれば、曲の演奏も可能となる。つまりソロバンには計算という用途の他に楽器としての用途もあるのである。
電卓ではどうか?電卓にはソロバンのような玉がないので、それをはじいたり上下に振ったりすることができず、叩いた時にかろうじて音が出る程度に留まる。叩き方に変化を持たせれば音にも多少のバリエーションが生じるものの、何百Hzといった周波数で叩けるはずがないから演奏まではできず、よってソロバンの表現の豊かさには及ばない。ところが、電子機器というのは便利なもので、サウンドジェネレーターや音源、アンプ、スピーカーなどを内蔵すれば簡単に電気的に内蔵された音を出すことができるようになる(ただしキー配置に工夫は必要)のである。もちろん、そのための電卓を新たに開発しなければならない訳だが。何も難しい話ではない。将来、電卓に音楽機能は必須のものとなるかも知れないのである。
3.部分故障に対する信頼性
ソロバンにはある程度の冗長性がある。もし何かの事故でソロバンの端から3分の1が壊れてしまっても、残りの部分で十分にソロバンの役目を果たす。桁が3つや4つなくなっても、巨大な数字が扱えなくなるだけで、日常的に使われるような範囲の数字での四則演算には何の支障も来さない。
しかし電卓ではこうはいかない。電卓のキーには冗長性がないので、例えば数字の1,2,3と+,=が欠けてしまったとしたら、計算することが飛躍的に難しくなる。「1+2+3=」は「5−4(M+)6−4(M+)7−4(M+)(RM)」といった感じになり、もし(RM)も壊れたら殆どお手上げである。更にその上×が欠けた時に、「12×23×34=」を一体どうやって計算したらいいのか見当も付かない。あるいは液晶や電源からの配線が故障した場合は、外見上は何の問題もなくても全く使えなくなってしまう。こうなると、もう電卓のプロしか扱うことができない。このあたりがソロバンとは決定的に違うところで、ソロバンは外見上に問題がなければ使用上にも全く問題がないのである。とはいえ、これらの部分故障に対処する方法がない訳ではない。ソロバンと同様に冗長性を持たせればいいのである。各機能を多重にあるいは並列に接続し、どのキーにどの数字を対応させるのかをユーザーが決められるようにすれば、かなり信頼性は上がるだろう。具体的には、今まで5だったキーを1に、6を2に7を3に変更し、+や=も他のキーに対応させれば「1+2+3=」はそのまま「1+2+3=」で計算できるようになる。
おわりに
以上のことを総合的に評価してみると、現時点では電卓は完全にはソロバンの代わりにはならないと結論することができる。しかもソロバンにはまだ「長い廊下で転がして遊べる」といった用途もあるのである。ひょっとすると「電卓はソロバンの足元にも及ばない」と言っても過言ではないかも知れない。しかし技術は日進月歩、いずれ"完全な"電卓も登場するだろうし、その日が早く来るように電子機器メーカーの方々には頑張ってもらいたいと思っている。電卓が完全にソロバンに取って代わることができるようになるためならば、メーカーはどんな努力も惜しむべきではないし、また努力する価値は十分にあるものと思われる。
<参考文献>
一松信 『教室に電卓を!』 海鳴社
山本英典 『電卓の軽薄短小化の流れ』 テクノロジー出版
トム・バッティ 『算盤と電子計算機』 数理学社
アバカム斉藤 『ソロバン保存史』 ソロバン保存会
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